北海道大学 歴史的講義ノートの公開
W. P. Brooks教授 / 新渡戸 稲造 著
農学 (1877-1878) W. P. Brooks教授 / 新渡戸 稲造 著
講義ノート Vol.I (1877)
講義ノート Vol.II (1877)
講義ノート Vol.III (1878)
講義ノート Vol.IV (1878)
講義ノート Vol.V (1878)
講義ノート Vol.VI (1878)
講義ノート Vol.VII (1878)
‡ これらの資料は制限資料です。
資料内容は変更されることがあります。資料を充実してまいりたいと考えております。講義ノートにまつわる情報をお寄せ下さい。また、テキスト化は、北海道大学オープンコースウェアで行いました。誤記等お気づきの点ございましたら、ご連絡ください。
ウイリアム・ペン・ブルックス(William Penn Brooks / 1851-1938)
マサチューセッツ農科大学在学中,クラークによる植物の膨張力の実験を手伝い,卒業後も化学と植物学の研究に従事した。クラークに選ばれ,1877年に札幌農学校に着任し,農学を担当した。帰国したクラークの後を受けて農園長となった。外国人教師の中でもっとも長く務め,その滞在は11年におよんだ。大学外での貢献も大きく,土地改良や北海道特産の農作物の栽培を指導した。帰国後はマサチューセッツ農科大学の農学教授となった。(北海道大学総合博物館より)
ブルックスの「農学」の講義ノートは数冊ある。太田(新渡戸)稲造の講義ノートのほかに、同じ講義を受けた同期生宮部金吾、南鷹次郎、町村金弥の講義ノートも存在する。
<関連図書>
高井宗宏編「ブルックス札幌農学校講義」,北海道大学図書刊行会 (2004年11月) (ISBN-10: 4832980815,ISBN-13: 978-4832980815)
英語の講義録に、章ごとに日本語の解説とその学問分野の継承発展の経過を述べた解題が付されている。新渡戸稲造の講義ノートは,その前半部分である。
新渡戸稲造(にとべ いなぞう / 1862-1933)
2期生。1884年に渡米し,ジョンズ・ホプキンズ大学にて経済学・農政学・行政学などを学ぶ。1887年,ドイツに転じるにあたって廣井勇とともに農学校の助教に採用され,ボン大学・ベルリン大学・ハレ大学に学ぶ。1890年に博士の学位を受けたのち,ドイツ東部やアメリカ・カナダの各地を訪れ,1891年2月に帰国した。この間,ドイツ留学中の1889年に長兄が死去したため,養子先の太田姓より新渡戸姓に復帰した(講義ノートでは太田姓)。1897年離札したのち,台湾総督府技士・京都帝国大学教授・東京女子大学初代学長等を経て,国際連盟事務次長(1925-1926)となる。「われ,太平洋の架け橋たらん」との願いのもと,国際平和主義者として活躍した。1894年には,札幌遠友夜学校を創設した。(北海道大学総合博物館より)