講義情報
タイトル
知の系譜 -札幌農学校の教育- 「土木工学」 C. H. Peabody教授 / 広井 勇 著 (1881)
教員
C. H. Peabody教授 / 広井 勇 著
概要
このたび北海道大学オープンコースウェアは、大学文書館と共同で、大学文書館が所蔵しております当時の講義ノートの一部をデジタル化し、WEB 上で公開することといたしました。
我が国の高等教育の源泉を知る上で貴重な資料です。どうぞ、ご覧ください。
我が国の高等教育の源泉を知る上で貴重な資料です。どうぞ、ご覧ください。
講義資料
土木工学 (1881) C. H. Peabody教授 / 広井 勇 著
現在,公開の準備を進めています。
‡ これらの資料は制限資料です。
資料内容は変更されることがあります。資料を充実してまいりたいと考えております。講義ノートにまつわる情報をお寄せ下さい。また、テキスト化は、北海道大学オープンコースウェアで行いました。誤記等お気づきの点ございましたら、ご連絡ください。
セシル・ホーバート・ピーボディー(Cecil Hobart Peabody / 1855-1934)
マサチューセッツ農科大学入学後,3年でマサチューセッツ工科大学に移り,1877年に卒業。その2年後に農学校に着任し,土木工学と数学を担当した。新設の観象台(天文台)を管轄し,測量術・物理学・天文学・器械図法なども教えた。帰国後はイリノイ大学の助教授となったが,母校マサチューセッツ工科大学に招かれ,のちに教授となり,蒸気工学・造船学・航空工学などの新分野を開発した。(北海道大学総合博物館より)
廣井勇(ひろい いさみ / 1862-1928)
2期生。1883年,ミシシッピー川改修工事の技術者募集に応じて渡米。さらに,いくつかの企業で工学の実際を修得して,橋梁・鉄橋に関する研究書をニューヨークで出版する。この図書は,アメリカの大学での参考書になったという。1887年に農学校助教に任ぜられたのち,ドイツに転じ,1889年に工学部教授として帰国した。北海道庁技師も兼任し,函館港築堤・小樽築港などを設計した。のちに東京帝国大学教授となり,近代工学の先駆者となった。(北海道大学総合博物館より)
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