北海道大学 歴史的講義ノートの公開
W. S. Clark教授 / 佐藤 昌介 著
植物生理学 (1876) W. S. Clark教授 / 佐藤 昌介 著
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ウィリアム・スミス・クラーク (William Smith Clark,1826-1886)
札幌農学校初代教頭(英文の契約書には,Presidentとある)。1848年に米国アマースト大学卒業。1852年にドイツのゲッティンゲン大学で博士号を取得。米国マサチューセッツ農科大学学長のとき,日本政府開拓使からの招聘に応じた。校長の顧問として,農学校創立に関する一切が委任されていたと考えられ,農学校の基本的枠組はクラークによって形成された。
クラークが札幌農学校に赴任していた期間は1876年8月から77年3月までの8ヶ月間であり,クラークの講義を直接受けたのは第1期生のみあった。クラークによる講義の講義ノートはこの他に数点存在する。
佐藤昌介(さとう しょうすけ,1856-1939)
1期生。1882年に自費で渡米し,ニューヨーク郊外のホートン大農場で実習を受ける。1883年ジョンズ・ホプキンズ大学に入学し,1886年「アメリカの土地問題の歴史」の論文で博士号の学位を受けて帰国した。この間,1885年の夏にドイツ・イギリスを視察した。留学中に開拓使御用掛に任ぜられ,官費生となる。ジョンズ・ホプキンズ大の同期に,のちの第28代アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンがおり,生涯の友となった。1894年に札幌農学校校長となり,その後,東北帝国大学農科大学長,北海道帝国大学総長を歴任し,明治・大正・昭和と建学精神を守り抜いた。
40年間にわたり北大の責任者として君臨。幾多の困難,危機を強力なリーダーシップで切り抜け,北大を総合大学に育てたことから,北大の父と呼ばれる。
(北海道大学総合博物館より)